2005年10月5日水曜日

続 聞き書き 里山の暮らし



 データタイトル:img20051005205240.jpg -(30 KB)

「続 聞き書き 里山の暮らし 土浦市宍塚」発刊! 名前: rekisibukai [2005/10/05,20:52:40] No.9
 歴史部会でとりくんできた 宍塚での聞き書きの本続編が、ついに完成しました。

~まえがきより~
 農業と暮らしに欠かせなかった里山の存在価値が、いったん失われたかに見えましたが、今、また新たにその値打ちが見出されはじめています。大切にしていくべき里山の宝は何なのか。これからどのような里山にしていくのか。地元、市民、行政などおおぜいの人たちで考えていかなければなりません。その際、昔の里山、暮らしや農業についての共通認識は欠かせません。そのための一助としてこの冊子を多くの方が読んでくださることを願っています。
 この冊子の中のお一人ずつのお話は宍塚の数十年間、そこに暮らす○○さんという、時空両面のいわば定点の記録です。そこからは多くのことが見えてきます。数十年前までの農業労働の厳しさ。小作制度、家族制度。戦中戦後の時期の苦労。今の暮らしにいたる努力、がんばり。たくさんの技と知恵。里山の幸。豊かな文化。人々のつながり。一人一人の誇り。この定点の記録を、里山の問題だけでなく、これからの暮らしや農業、自然と人間、人の生き方、社会のありかたを考えるのに役立てていただけたらと思います。



2005/10/05「続 聞き書き 里山の暮らし 土浦市宍塚」に感想


 「続 聞き書き 里山の暮らし 土浦市宍塚」に感想を寄せて頂きました
 名前: rekisibukai [2005/10/05,21:19:17] No.10
 「続 聞き書き 里山の暮らし」 学生さんたちのレポートから
 きぬ看護専門学校1年の学生さんたちが、この本を読んでレポートを書いてくれました。学生さんたちの了解が得られましたので、読ませていただき、一部、ここに掲載することにしました。若ものたちがどんな点に注目したのか、何を感じたのか、とても参考になります。農村出身者の場合、祖父母の暮らしかたなどに改めて注目し、身近な自然についてもふりかえるきっかけになった人が多かったようです。最も多くの人が引用されていたのが、食についての、「とってきたものすべてが食卓にあがり、無駄にするものが何もなかった」という文です。また、衣服についても自分の家で作ったこと、とことん再利用をしていたことについて、今との違いに驚きをもって述べている人がめだちました。以下、レポートの一部を抜粋してみます。(阿部)


■Oさん■
---最近は昔の文化にふれる機会がなくなってしまい、生活も便利になったので、毎日の生活に工夫をこらしたり、自然の中で働いたりすることも、必要だと思いました。--私の祖父は若い頃まで山師をしていたと聞いたことがありました。山師についてくわしく書かれた文章で、こんなたいへんな仕事をしていたんだなと思いました。--私の家にも広い畑があって、時々仕事を手伝うことがあります。--作物の植え方や育て方などは、祖父や祖母から学んだとおりに父から教えてもらっているので、今でも私は昔ながらの方法で作業しているんだと思うと、とてもうれしくなりました。---私の家の周りも、最近までは木々が生い茂った林が広がっていました。たぬきやいたちをよく見たし、きれいなキジも庭に飛んできました。けれど、工業団地を作るために広い林を切り倒して、建物を次々と建ててしまいました。---たった数年の間にいっきに変わってしまい、鳥や動物の住む場所がなくなってしまいました。--このようなことは、家の近所だけでなく、全国各地でおこなわれていることを思うと、自然にとって厳しい状況にあって、人間の利便だけを考えて生きている様では、いけないと思いました。---どう、自然と共存していくかを考えたいと思います。」
■Iさん■
[---すごく驚き、一つの衣類を作るのに大変だったのだと思いました---寝具も自分達で作ると書いてあり、すごいと思いました。今の私は雑巾一枚縫えるか縫えないかぐらいなので、昔の人は本当に手先が器用だったんだなと思いました。」
■Sさん■
---読んでいて一番感じたのは、家族や親せき、そして近所の人々との交流する機会が多いということです。毎日の食事は必ず家族で家族全員が集まり、近所の人どうしでは声をかけあい、人情味あふれる生活をしています。--衣服については、現代とは本当に違うと感じました。衣服は女性が作るものと考えられていたなんて、信じられません。--今の衣服は、人に見せたり、自分の個性を出したりしてファッションとして使われていますが、昔の衣服は農作業などの仕事を効率よくできて、作業がしやすく、動きやすいとい所に重点がおかれていると思いました。--驚いたのが、お風呂とお便所が、家の外に作られていたということです。----そして、興味を持ったのは、井戸です。私は生まれてから今までに井戸を見たことがありません。--蛇口をひねればすぐに水が使えるのと、いちいち井戸から水を汲み上げるのでは、井戸の方が、多くの労働と苦労があったというのは分かります。そのかわりに、今では飲みたくてもなかなか飲めない、おいしくて、きれいな水が飲むことができて痛んだと思います。---
■Hさん■
---機械化や電子化がすすみ、私たち人間にとっては、とても便利で不自由のない生活を過ごすことが無条件でできるようになっていると私は考えます。しかし、それに伴って不便で自由のない生活を強いられている生き物がいるということを私たちはわすれがちです。それは自然に生きるもの達です。草であり、花であり、木であり、そこで過ごす微生物であり、昆虫や魚、動物などであります。--今の私たちの生活の中に、自然とのつながりはどれくらいあるのだろう--。そう考えながら、この章(「魚とりにいくべといえばーーー」)を読んでいくと、豊かになった現代の生活が、とても貧しく思えました。-- 特に自然の中で生きていた昔の人達は、皆で力を合わせなければできないことが多かったので仲間との繋がりも強いものだったと考えます。このようなことを考えると、自然というものは、人と人を繋ぐためにもとても大切だと思います。---私は里山の暮らしを読んで、たくさんのことを考えさせられました。また、幼い時の思い出と重ね合わせたりしました。すると、やはり、自然はとても大切で、生きていく上で必要な物だと感じました。自然が少なくなった今、自分に何ができるのか、小さなことから少しずつ考え、行動していきたいと思いました。」
Sくん■
---今は魚も木も虫でさえも店で売っていて買える時代で、とても便利にはなったけれど、こどもたちが虫をつかまえることも知らなかったりすることがとても残念に思える。--捕まえる知恵も、それぞれがどこにいて、どんな時期にあらわれ、どんな特徴があるかもわからない。それはとても不幸なことだと自分は思う。---この時代と今と、大きな違いは自分たちのことは自分でする。ということだと思う。--今は地域の人との協力ということもほとんどなくなり、住宅地では、となり近所に誰が住んでいるのかわからないという人も少なくないと思う。---この本を読んで感じたことは、現代人は自然の恵みや大切さを忘れ、文明が発達したことばかり頼っていると思う。文化、文明が発達したことはとても良いことなのだけれど、それによって、自然環境の汚染や破壊が進んでいることを忘れてはいけないのである。人々は自然と共に生きていくことがのぞましいのだと自分は思う。」